【書評】SHOE DOG 靴に全てを。〜起業したい人は読むべし〜
こんにちは、まつまるです。
今回は「SHOE DOG 靴に全てを。」を読んでみました。500ページ以上あるので気軽には読みづらいですが、内容が濃くて飽きることはありませんでした。
SHOE DOG(シュードッグ)―靴にすべてを。 | フィル・ナイト, 大田黒 奉之 | スポーツ | Kindleストア | Amazon
読みたかった理由
あのナイキ創業者がいかなる思いで会社を立ち上げ世界的な企業までのし上がったのか生き様を学びたいと思う。
著者紹介
フィル・ナイト(1938年生まれ/82歳)
オレゴン大学卒
アメリカ陸軍を経てスタンフォード大学大学院に進学。その後MBA取得。
1964年−2004年の間、ナイキのCEO。
2004年−2016年の間、ナイキの会長を務める。
(訳者-大田黒奉之)
出版社
筆者が若者に伝えたかったこと
本の最後に書かれていたので、そのまま引用したい。
20代半ばの若者たちに言いたいのは、仕事や志す道を決めつけるなということだ。天職を追い求めて欲しい。天職とはどういうものかわからずとも、探すのだ。天職を追い求めることによって、疲労にも耐えられ、失意をも燃料とし、これまで感じられなかった高揚感を得られる。
著者である、フィル・ナイト(ナイキ創業者)はシューズ販売に情熱を捧げてきた。起業前に色んな職種を経験して、やっぱり自分の生きる道はシューズにあると信念を貫いてきたからこのコトバが出てきたんでしょう。
詳細
起業するまで
フィル・ナイト(ナイキ創業者)はアメリカの東海岸にあるオレゴン州で育った。父親は新聞の編集者で小金持ちといったところなんだけど、父親からお金を借りて世界一周旅行に行けるくらいなので、それなりのお家柄だね。
フィル・ナイトの経歴を見てもらった分かるけど、超高学歴なのよ。日本で言えば東大卒みたいなもんだよね。
20代前半の本人にも自覚はあった。
履歴書は一人前だけど、ただの若者だ。
学生時代の夢は、偉大な陸上選手になることだったが叶わず、将来役立つだろうから大学院にも行き、MBA(経営学修士)にも通ってみた。色んな仕事をしてみたが、パッとしない。
フィル・ナイトはアスリートのように偉大な夢を一心に追い求めることをしたかった。
そこで、陸上選手時代に出会った最高のシューズを世に広めようと考えた。
その最高のシューズを作っていたのが『オニツカ』(アシックスの前身)だ。1960年代の日本は戦後の荒廃から立ち上がり、高品質で低価格な商品を世界に展開しようとしていた。
フィル・ナイトは日本のカメラが世界を席巻したように、シューズも日本の時代が来ると考えていた。
そこで、世界旅行も兼ねて日本に訪れて、神戸にあるオニツカ本社へ訪問し、輸入させてもらえないか交渉しにいった。
父親のコネもあって、なんとか交渉までたどり着いた。しかし、ただの若者だ。
僕がすごいなと思ったのは、まだ会社も立ち上げていない若者が外国の企業と交渉しようとした行動力だと思う。普通なら手順を踏んで、会社を設立し、人を集めてから交渉のテーブルにつきたいものだけど、そんなものすっぽかして、たった1人で赴くのはある意味常識から外れていると感じた。笑
さて、オニツカとの交渉がはじまった。直ぐにオニツカから質問があった。
ミスター・ナイト、何という会社にお勤めですか?
さっそく大ピンチ。笑
あなたなら、どうする??
ここで、フィル・ナイトは
とありもしない会社を言い、ハッタリをかました。今の時代には出来ないよね。。ググられたら終わり・・・
ちなみにブルーリボンとはナイキの前身にあたる会社にあたり、自宅にあった陸上のトロフィーがとっさに浮かんだのが理由らしい。
結局オニツカとの交渉は上手くいき、世界一周してからアメリカに帰国し会社を設立するというなんとも時代の緩やかさを感じる起業までのお話し。笑
成長期と立ちはだかる敵
フィル・ナイトの見込み通り、オニツカのシューズは売れまくって、会社は順調に成長していった。しかし、会社が軌道にのるまでは会計士の資格を取って働きながら、平日の夜と土日に会社の仕事をするというハードな生活だった。
成長していた矢先、オニツカとの折り合いがつかなくなり、1970年頃から自社でシューズを製作することにした。
そこで、会社名もブルーリボンからナイキに変わった。古代ギリシャの勝利の女神ニケ(nike)からとったものだ。ナイキのロゴもこの時期に作られた。デザイナーへの報酬はたった、35ドル(約4000円)だ。安いよね。笑(後ほどさらなる報酬があったらしい)
ナイキはあまりにも急成長をしていったので、倒産したときのリスクを考え、保守的な銀行は手を引いていった。そのおかげで売り上げの全てを新たなシューズ代に当てているナイキは従業員に給料が払えないほど困っていた。
そこで手を差し出したのが日本の商社(日商岩井/現・双日)だった。
意外にも日本とナイキとの繋がりは深く、ナイキの成長期を作ったのも日本の企業だし、成長期を支えたのも日本の企業だった。
ところが急成長すると敵からの攻撃を受けるのは世の常だ。ナイキも例外ではなかった。
突然、政府から約25億円の罰金を払えと通告があった。内容は平たく言うと、他社の模倣品を販売したので売り上げの一部を国に納めろということだった。
これは遠回しにライバル会社である、アディダスやプーマが政府と組んで潰しに掛かってきたのだ。
ところが、25億円というのは当時のナイキの売上高そのものだった。支払えば倒産だ。窮地に立たされたナイキは勝負に出る。
テレビCMで、田舎の小さな会社が巨悪の政府と戦うストーリーを放送した。これが世論に支持されたのだ。それから風向きが変わり、和解に進んでいった。(結局9億円で収まった)
また、ナイキのCMは当時にしては珍しく、製品主体のCMではなく、製品に込められた精神を主張していた。失敗するかなと思いきや、これがナイキブランドを醸成していく重要なポイントだった。より抽象的な所で共感を呼べると、ファンとの強力な絆ができるからだ。
そして、マイケル・ジョーダンなどの有名スポーツ選手と組んでいき、世界的な企業へと成長していった。
学んだこと
学んだことは大きく2つだ。
1つ目は、自分のやりたいことがあればハッタリをかまして辻褄を合わせようとすることで大きな力が発揮されること。
2つ目は、会社を設立したからといって最初からフルコミットでは無く、軌道にのるまでは兼業しながら進めることも重要なこと。
この本はそれを教えてくれたんだと思う。